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茨城県 筑波山で登山・ハイキング/コース&観光ガイド

Journal筑波山ジャーナル

2019.10.04| 筑波山神社,山岳信仰

Challenge to "Zenjo"
筑波山禅定に参加したら、心に“生”が刻まれた。

筑波山神社で毎年秋に行われている「禅定」に初参加してきました。過酷すぎた行の体験記です。

筑波山女体山頂にある筑波山神社の本殿。筑波女大神(ツクバメノオオカミ)が祀られる

女体山頂にある筑波山神社の本殿。筑波女大神が祀られています。男体山頂の本殿には筑波男大神が祀られています。

山岳信仰の山というと、出羽三山がよく知られているが、筑波山も古くから山岳信仰の山とされている。中腹にある筑波山神社の本殿は、実は男体山と女体山ふたつの山頂にあり、それぞれ「筑波男大神(つくばおのおおかみ)」(=いざなぎ)と「筑波女大神(つくばめのおおかみ)」(=いざなみ)が祀られている。

そんな筑波山の“神の山”としての側面を体感できる行事があるのをご存知だろうか。筑波山神社が毎年秋に行っている「禅定(ぜんじょう)」。正式には、「筑波山神社神窟講禅定練成業法」という。

古来からの自然崇拝の流れをくむ「修験道」の修行の一種で、筑波山中に点在している「神窟」を巡ることで精神修養を図り、心の穢れを落としていくことが目的の行だ。古くから修験道の修行場として栄えた筑波山。そんな歴史ある山岳信仰の霊場で、一日体験のような感覚で修行ができる、超貴重な機会が禅定なのだ。

筑波山の中腹にある筑波山神社

生と死を突きつけられる、約10時間の未体験ゾーン

正直なところ自分は超インドア派で、外に出るより家の中でゲームか読書でもしていたい方なのだけれど、なぜだか“山”には惹かれてしまうところがある。

山を歩く気持ちよさはある。アウトドアの道具やファッションも素敵だと思う。でも何より一番心が躍るのは「自然崇拝」「八百万の神」「山伏」など、日本人が山に抱く特別な精神性を垣間見るときだ。その言葉を目にするだけで、心がしゅっと綺麗に研がれる気がする。山に対する特別感。その太古の心は、現代の文明の利器におかされまくっている私のDNAにすら刻まれているものなのか。山を歩いていると、日常にはない集中力で、自分自身と向き合うことができる不思議。それはいったいなぜなのか。そう、絶対、山には何かあるのだ。でもそれも、山を降りるとすっかり忘れてしまうのだけど。

そんなわけなので、噂に聞いていた「禅定」はとても気になる存在だった。修験道の修行を、一日で、しかもすぐ近くで体験することができるのだから、魅力的すぎる。

過酷すぎる禅定の一日

…参加したのは、9月の最初の土曜日。朝7時半に筑波山神社に集合し、それから夕方5時頃まで約10時間のスケジュールだ。参加者はリピーターと初参加が半々くらい。一番若い人が20代、ほかは40〜50代が中心だった。

神社から貸し出された白い半纏を、登山ウエアの上に纏う。そして、筑波山神社の神紋である「三葉葵」と赤い鳥居が描かれた手ぬぐいを頭にきゅっと巻く。禅定スタイルが完成すると、「先達(せんだつ)」と呼ばれる案内役の神職さんに従って、山の中へと入って行く。

禅定で使われるのは、普段は立ち入り禁止になっている「禅定道」と呼ばれる特別な道だ(神聖なルートのため非公開)。その道中には、注連縄(しめなわ)が張られた神窟がいくつもある。こんなにも神聖な空気に満ちた場所が、普段暢気に歩いている筑波山にあったのかと驚いてしまう。

筑波山ならではの巨岩・奇岩がかたちづくるいろんなタイプの神窟は、それぞれが精神修行の場になっている。序盤、狭い洞窟から全身泥だらけになりながら這い出すところで、まずは閉じていた心が一気に開放されたような気分になる。服が汚れることを許容することは、些細なことのようで、心の栓を抜く大きな後押しになっていたのだと、振り返って感じる。体が汚れるほどに、心のバリアが外れ、穢れが落ちていく。そんな不思議を感じながら、神窟巡りは幕を開ける。

道なき道を歩く、冒険のような感覚になりながら、子供の頃に戻ったような、ハイな気持ちになっていく。一方で時を重ねるごとに、どんどん上がっていく神窟レベルに不安も押し寄せる。巨大な岩から岩へと飛び移ったり、7〜8メートルの高所から1本のロープを伝って降りてみたり、超高所にある断崖絶壁の岩場を命綱なしで登ってみたり…。普段から体を鍛えている人ならなんてこともないのかもしれないが、私個人としては大げさではなく、命の危険を感じた局面が何度かあった。

断崖絶壁をよじ登りながら、自らに問う…

特に断崖絶壁登りは、終始心臓の高鳴りがおさまることがなかった。少しでも手を離したら、足を踏み外したら…滑落していく自分を想像して足がすくむ。全力で掴んでいなければダメだとわかっているのに、恐怖で手の力も抜けていく。諦めて手を離せば、この恐怖心から開放されるのだろうか。一瞬、死という選択が頭をよぎる。壮絶な、自分との闘いだった。

命が危険に晒される感覚をまじまじと味わう。普段の生活の中ではまず感じることのない痺れる恐怖の中に身を置いて、きっと思うことはそれぞれに違うだろう。私が最も強く感じたのは、たぶん“開放”だったのだと思う。ほかの誰かではなく、自分自身と向き合い、子供のように笑ったり、怯えたりする。心を剥き出しにする感覚を味わえたことは、禅定を終えたあとの日々にも少しだけ影響を与えている。

悩んでいる人、迷っている人、好奇心や冒険心がおさえきれない人、山が好きな人。兎に角いろんな人におすすめしたい。また1年後だけれど。

文/根本美保子(TURBAN)

禅定を終えたあとの帰り道。みんな疲れ切っている。


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